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ハーレーが日本に伝わった経緯と陸王

集会

アメリカ生まれの大型バイクであるハーレーが日本に伝わったのは1912年です。
購入したのは当時の日本陸軍で、機動性に富んだ頑丈な車両としてハーレーを選んだとされています。四輪の自動車が非常に高価だったこともあり、安価で購入できるうえに小回りが利くバイクは陸上の移動や物資の輸送に重宝されていました。
ハーレーも例外ではなく、人や荷物の運搬に役立たせるためにサイドカータイプの車両が多く購入されました。
やがて海外製品に高額な関税が掛けられるようになると、自国で作った方が安く済むという声が増えました。当時のハーレー社との話し合いにより、輸出販売しないことを条件としてライセンス契約が結ばれ、同時に製造設備の買い取りも成立したのです。

このような経緯から陸王はハーレーのコピーではなく、正式なライセンス生産によるバイクとして高く評価されました。ハーレーのバイク生産技術は当時の最先端であり、その技術に基づく設備を買い取ったことによって陸王も必然的に高性能バイクの仲間入りを果たしたのです。
悪路に強く、馬力もある陸王は軍用以外にも富裕層の嗜好品として普及しました。当時の日本における輸入車両の多くはアメリカ製であり、ハーレーをベースとした陸王は親しみやすいバイクだったのも広く普及した一因です。太平洋戦争によって日米関係が悪化した状況においても陸王はその性能の高さから生産が続けられていました。

しかし時代の流れと共に陸王よりも性能が高い国産バイクが次々と開発され、次第に需要が低下しました。また、終戦後にハーレーの輸入販売が再開されたこともあり、1949年には陸王を生産していた会社が倒産しました。別の会社が陸王の生産と販売を継承したものの、高性能のバイクが増えたことによって需要は更に少なくなり、遂に1959年に陸王は生産中止となったのです。しかしハーレーを下地にした陸王は国産バイクの完成形のひとつとして現在でも高く評価されています。

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